
今回はいつもと趣向を変え、
ソフトではなく、セガの歴代ハードについて紹介していきます。
セガは、今となってはソフトメーカーとなっていますが、80年代から2000年初期までは、ゲーム機で任天堂としのぎを削っていましたね。
技術的にはスゴイSEGAでしたが、我々ユーザーからも、
「なぜこのタイミングで(。´・ω・)?」
と思うような事も多々あり、戦略的にもかなり斜め上行く発想でした。
また、個性を出しすぎて、逆に使いにくい・・・という事もよくありましたね^^;
ま、今となって、それもセガらしいですがw
そんなセガを愛してやまない方、セガの歴代ハードや販売台数が気になる方は、是非見ていってください。
Contents
セガゲーム機ハードの歴史
SC-3000
1983年7月15日 29800円
セガが初めて開発したホビーパソコン。
SCは、セガコンピューターの略。
当時のホビーパソコンとしては非常に低価格。
更に、セガの自社ゲームを多数供給することができた為、発売前から数万台の受注を得るなど、好調なスタートに成功。
発売初年度で、国内外合わせて20万台以上売り上げました。
しかし、当時のセガ上層部は、家庭用ゲーム機は所詮は子供の玩具と見下しており、あまり力を入れてこなかったとか。
セガが任天堂に勝てなかった理由もよくわかります^^;
まだ若手の頃の、とんねるずがCMしていたのも、今となっては希少ですよね。
SG-1000
1983年7月15日 15000円
Japan sales:約40万台
World sales:約100万台
SC-3000と同じ日に発売された家庭用ゲーム機。
SC-3000のキーボードやパソコンとしての機能を削除することで、安価に抑えることに成功。
コントローラーがレバー付きジョイスティックで、長時間遊ぶと手が痛くなるんですよね^^;
なんでこんな形にしたの?と今の子は思うかもしれませんが、ファミコン以前は、これがごく普通のデザインでした。
国内でもそれなりに売れたゲーム機でしたが、同時期にファミコンという怪物が登場したのが、本作の不運なとこ。
SC-3000H
1983年 33800円
SC-3000のゴム型キーボードを、本格的なプラスチック製のタイプライター式に変更したのがSC-3000H。
4000円高くなっていますが、長時間のプログラムにも耐えられるよう実用的なホビーパソコンになっています。
キーボード以外は、SC-3000と同じ。
SG-1000Ⅱ
1984年7月 15000円
SG-1000のデザインを一新したゲーム機。
SG-1000は、当初からデザインが悪い、墓石のようだと不評でした。
また、ライバルである「ファミコン」の登場から、十字キーのコントローラーが主流になりつつあったため、セガもそれに倣ってジョイパッドを2つ装備。
SG-1000Ⅱのジョイパッドは着脱式だった為、劣化によるパッドの交換が容易だったことが、唯一ファミコンよりも優れている点でしたね。
セガ・マークⅢ
1985年10月20日 15000円
Japan sales:約70万台
World sales:780万台
SG-1000Ⅱのデザインを踏襲した、セガ家庭用ゲーム機第三世代。
本体には、マイカード用のスロットと、ROMカートリッジ用のスロットを搭載。
そして、マークⅢで最も強化されたのがグラフィック。
SG-1000はファミコンと比べても圧倒的に劣っていましたが、マークⅢでようやくファミコンを上回ることに成功。
しかし、それでもファミコンの牙城を崩すことはできませんでした。
当時は、既に各家庭にはファミコンが行きわたり、ゲーム機は一家に一台が普通でした。
セカンドゲーム機としてマークⅢを持っているお金持ちの子もいましたが、それもごく一部がだけ。
また、この頃はまだソフトも、ほぼセガ1社提供だったので、ソフト数がファミコンに比べて圧倒的に少なかったのも、ファミコンに勝てなかった理由と言えるでしょう。
いくらハードが優れていても、それを活かせるソフトが少なければ意味がありませんよね。
マスターシステム
1987年10月18日 16800円
Japan sales:約40万台
World sales:約1300万台
セガマークⅢのマイナーアップデート作品。
マークⅢのゲームも、もちろん遊ぶことが可能。
マスターシステムは、マークⅢでは別売りの周辺機器だったサウンド性能を拡張する「FMサウンドユニット」が標準装備となっています。
元々は海外向けに発売されたハードでしたが、後に国内でも販売。
その為、国内よりも海外での販売台数が多く、特に欧州やブラジルでは、海外版のファミコン「NES」を超える出荷台数を記録しています。
海外ではかなり長い期間新作ソフトが発売され続け、本作のヒット、販路の確保のおかげで、後のメガドライブも大ヒットしたことは間違いないでしょう。
メガドライブ
1988年10月29日 21000円
Japan sales:約360万台
World sales:約3100万台
16BITのCPUを搭載した、第4世代のセガの家庭用ゲーム機。
いとうせいこう氏の、スピードショック、ビジュアルショック、サウンドショック♪
のキャッチコピーを覚えている方も多いでしょう。
80年代後半に入ると、さすがのファミコンにも時代遅れ感が漂っていました。
そんな中登場したのが、このメガドライブ。
アーケードと同じようなグラフィックを見たときは驚きましたね。
これまでのセガハードは、ソフトもほぼセガ1社で賄っていたため、ファミコンに比べるとどうしてもソフト不足の問題がありました。
しかし、メガドライブからは本格的にサードパーティー制となり、ソフトも充実。
当時のアーケードゲームも、ファミコンよりも圧倒的に移植度が高かったですね。
メガドライブも海外では大ヒットし、
北米版は、GENESIS
欧州、南米では、MEGA DRIVE
として発売されました。
しかし、80年代後半になると、ファミコンの後継機が発売されると噂され、メガドライブを買うか、少し待ってファミコンの後継機を買うかで迷った子も多かったはず。
私も、当時はファミコンでしばらく我慢して、任天堂の後継機が出たら、そちらを買おうと思っていたので、メガドライブは欲しかったですが、当時は我慢してました。
こういう戦略が任天堂は上手いですよね~。
ゲームギア
1990年10月6日 19800円
Japan sales:約180万台
World sales:約1050万台
任天堂のゲームボーイの大ヒットを受けて、プロジェクトマーキュリーのコードネームで開発を進めていた、セガ初の携帯ゲーム機。
最も大きな特徴は、最大で4096色の表示可能なSTN液晶を採用したカラー画面。
当時は液晶の技術はまだ発展途上で、まだ携帯機はモノクロが一般的でしたが、いち早くカラー液晶を取り入れたのは、さすが技術力のセガです。
また、別売りのテレビチューナーを付けると携帯テレビにもなるという事で、子供だけでなく大人も喰いつきました。
「まだ白黒のゲームで遊んでるの?」
「後で貸してあげるからね」
とゲームボーイを揶揄するようなCMも話題でした。
今こんな挑発的なCMはできませんよね^^;
しかし、カラー液晶は消費電力が大きく、単三アルカリ乾電池6本でも3時間ほどしかもたないという燃費の悪さ。
別売りのACアダプターを買うまでは、大量の乾電池を消費した人も多かったでしょう。
技術はスゴイのですが、ユーザー目線を考えず、どこか必ず一つ抜けているのがセガらしいですよね^^;
国内ではそこまでヒットしたという印象はありませんでしたが、やはりこちらも海外では大ヒットしました。
マークⅢをベースとして作られていたため、マークⅢからのソフト移植が多かったのも、海外で人気が高かった理由の一つと言えるでしょう。
メガCD
1991年12月12日 49800円
Japan sales:約40万台
World sales:約600万台
メガドライブと合体できる、CD-ROMドライブ。
当時は、徐々にCD媒体のゲーム機が出始め、アニメのように動く映像、キャラクターボイスには驚いたものです。
しかし、当時はまだまだ光学ドライブのコストは高く、本体も高すぎて一般家庭の子にはとても手が出ませんでした。
メガCDのソフト開発に関しては、あまりSEGAは積極的な印象はなく、どちらかというと、ゲームアーツやウルフチームなど、サードパーティの名作が多かった思い出があります。
セガサターン
1994年11月22日 44800円
Japan sales:約580万台
World sales:約930万台
セガの家庭用ゲーム機6代目となる第五世代ゲーム機。
サターンの名前は、太陽系第6惑星にあたる土星から由来しています。
バーチャファイターというアーケードで大ヒットした格ゲーの移植もあり、当初はライバルのプレステよりも人気が高かった記憶があります。
しかし、ファイナルファンタジー、ドラクエのプレステ発売が決まったあたりから、徐々に流れはプレステに傾いてきましたね。
任天堂は次世代機の開発に大きく後れていた為、
遂にセガの時代到来か!
と思ったら、まさか家電メーカーのソニーに抜かれるとは、ユーザーはもちろん、セガも夢にも思わなかったでしょう。
セガハードとしては、国内で最も売れたゲーム機でしたが、今度は逆に海外ではあまり売れませんでした。
序盤はプレステと良い勝負をしていましたが、プレイステーションの販売台数は、
Japan sales:約1900万台
World sales:約1億240万台
と、結果的にはプレステの圧勝。
ちなみに、任天堂の第6世代ゲーム機、NINTENDO64の販売台数は、
Japan sales:約554万台
World sales:約3293万台
海外では、サターンよりも64の方が人気が高かったんですね。
ですが、任天堂にとっては、ここから辛く苦しい時代が続くことになります。
詳しくはこちらの記事をどうぞ
スーパー32X
1994年12月3日 16800円
Japan sales:約5万台
World sales:約130万台
メガドライブに装着することで、セガサターンと同じ32BITになるアップグレードブースター。
プレステと同じ日に発売されましたが、ほとんどの方が、その存在すら知らなかったはず。
元々はメガドライブ所有者が多い、北米市場の要請を受けて開発されたもの。
それを国内でも販売したため、ユーザーからも混乱を招く結果に。
また、いくら同じ32BITとはいえ、やはりセガサターンと比べると表現力にも大きな差があり、発売当初からかなり苦戦していました。
そして、対応ソフトは、わずか18本でその幕を閉じることに。。。
販売台数も僅かで、以前放送された「しくじり企業 セガ編」でも担当者が
口に出せないくらい売れなかった
と言ってましたw
そりゃそうでしょう^^;
これがせめて、あと1年早く、またはセガサターン発売前に出ていたら、もう少し売れていたことでしょう。
ドリームキャスト
1998年11月27日 29800円
Japan sales:約280万台
World sales:約910万台
当時、湯川専務の自虐的なCMで話題だった、セガ最後のゲーム機。
グラフィックの向上などはもちろんですが、最も大きく変わったのが、インターネットに接続してオンラインプレイが可能になったこと。
電話回線を繋げて、セガラリーや、あつまれ!ぐるぐる温泉などを楽しんだ方も多かったことでしょう。
また、PSOこと「ファンタシスターオンライン」がスタートしたのもここから。
但し、当時は今のようにネット環境もまだ整っておらず、ネット料金も月額制ではありません。
電話料金としてその都度通信料が発生するため、時には数万円以上もかかることも。
親に激怒された子も多かったのではないでしょうか^^;
人気ソフトも多数発売されましたが、発売当初は品薄が続いたため、うまくスタートダッシュが出来なかったことは今でも悔やまれます。
そして、プレステ2が発売されてからは、一気にそちらに流れが変わりましたね。
プレステの場合は、
PS2でPS1のソフトも遊ぶことができましたが、ドリキャスではサターンのゲームは遊ぶことが出来ません。
互換性がなかったことも、PS2に勝てなかった要因でしょう。
そして、最も大きな敗因は、PS2はDVDを観れるという事。
当時は、まだまだDVDプレイヤーは家庭にはあまり普及しておりませんでした。
DVDプレイヤー単体でも5~6万くらいはする中、PS2ならゲームも遊べて、更にDVDも観れる。
これは大きなセールスポイントになりますよね。
ゲーム機には興味はなくてもDVDも観れるならと、PS2を買った人もきっと多かったことでしょう。
ドリームキャストは、あくまでゲーム機でしかありませんが、プレステ2は一家に一台の家電といったイメージ。
ここがゲームメーカーと家電メーカーの戦略の違いかもしれませんね。
PS2発売から一気に差を空けられたドリームキャスト。
そして、2001年の1月24日 日経新聞の朝刊に
ドリームキャスト3月で生産中止!
同年1月31日、セガから正式に
セガ家庭用ゲーム機ハード事業を撤退
と発表。
さすがにこの時は、寂しかったです( ノД`)シクシク…
日本のゲーム業界を牽引してきたメーカーでしたが、ここが一つの節目りとなりました。